エビデンスが有る/無い

「論文が有る」=証明されている=だから信頼できる。

という言い方を、よく聞く。

誰かが言ってた、というくらいならさほど気にしないのだけれど、

あっちで聞きこっちで聞き、あの時も聞き今日も聞き、となると

あら世の中の風潮はそういうことになっているのね、と思って

引っ掛かる。

いくつか問題があると思う。

論文が有れば信用できるかと言ったら、そんなことは無い。

論文にするにあたって、なんらかの調査か実験をして、考察をしている。

その調査の規模は充分か、実験は追試して同じ結果が出るものか、

ということが論文の良し悪しに関わってくる。

30人の人を調査しただけでは、良い論文にはならない。

3000人を調査したら、ずいぶんいい規模になる。

じゃあ3000人で充分なのか。

3ヶ月の追跡調査では心もとない。

3年で精一杯か。

30年後まで調べた論文もある。

では50年後はどうなっているだろう。

50年後まで調べたところで、実は51年目に激変の起こる問題だったとしたら。

何が充分なんて、言えないように思えてくる。

そんな中で、この程度だったらけっこう信頼できるよね、という

せいぜいそのくらいのことで今の科学は言っている。

逆もまた真なり、だろうか。つまり

「論文が無い」=証明されていない=だから信頼できない。

と言ってしまうことは、どうなのか。

かかる事案を問題としている研究者が、ごく少数だったとする。

ごく少数だから現場は大忙し。

ごく少数だから研究費もままならない。

論文なんか書いてる暇は無い、ってことになりがちだ。

論文にするには、客観的にデータとして提示できる形にせねばならない。

画像にしたり、数値にしたりするための機器が有れば良いが、

機械の発達を待たないと研究できないという側面も大きい。

近年、脳の研究が進んできているのも、fMRIなんてなものができて、

こういう刺激があると脳のこの部分が活動する、ということが

画像で明らかに見ることができるようになったからだ。

そういう機械が無ければ、論文にはなりにくい。

論文が無いからと言って、脳のその活動が起きていないわけではない。

可視化する技術が人間に無かっただけのことだ。

何かの仮説が有ったとして、

やっとそれについて論文が出たとする。

論文が出た。これで証明された。

と言ってしまうと、論文が無いものは証明されていないから信頼できない、

と言い切ってしまうようで、どうも気に入らない。