AIと人間というテーマに手を出しながら、「鉄腕アトム」にも遠く及ばない残念な作品。吉浦康裕監督「イヴの時間 劇場版」(2009)。

もともとはネットで公開したアニメだそうです。だから「劇場版」だけを見て云々するのはダメだという人は、どうぞそのように映画を見てください。僕はいかなる映画でも、その作品だけで判断します。また、その作品だけでは“意味がない”というのなら、見るべきすべての作品を同時に提供しない作り手の責任を追及します。

物語は、アンドロイドが家庭に進出した未来の日本(たぶん、とテロップにあります)が舞台。家事など身の回りの世話をアンドロイドがこなすため、接している人間(おもに子供たち)がアンドロイドを慕う気持ちを強く持つ、という展開です。しかし社会を支配する側は、アンドロイドはアンドロイドとして明確に差別しようとしている、みたいな。

とりあえず、古典的なロボット三原則憲法みたいになっているという部分はOKとしましょう。しかしアンドロイドが人間的に気持ちを表してくるというあたり、ほんまでっか? AIというものをきちんと考えるのが面倒だから、とりあえず人種差別に模してみましたという、安易な臭いがするわけです。

そして“イヴの時間”という喫茶店(秘密クラブ?)では、アンドロイドたちも人間と同じように過ごせる、という設定です。そもそも、アンドロイドが“人間と同じように”という便利な呪文によって、まったく人間と見分けられない状態なのが、僕には理解できません。とくにディープラーニングという手法が登場してからのAIの活躍ぶりが目覚ましい今、この程度の発想では人種問題に対しても失礼だ。

要するに、「ベイマックス」の情感もなければ“手触り感”もない。もちろん「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」(2011)のような、きちんとした切り込みもありません。だからアンドロイドたちが、イヴの時間の中では人間と同じようにふるまうという、キーポイントすら説得力を持たない。

とても残念な作品だと思うわけです。せっかく自由な発想で大きな問題に挑めるのに、それこそ「鉄腕アトム」が60年前に描いていた世界すら描けていない。もしかしたら、この作品にかかわっている人間の多くが、もはや手塚治虫の「鉄腕アトム」すら知らないのではないか?

僕は別に、映画を志すなら黒澤明やヌーベルバーグ作品を勉強しろよと言っているのではありません。知らなくてもいいけど、大昔にもっと深く考えた人がいるのに、それ以下の手法を取るのは恥だろ、ということです。先人の作品を無視するならそれなりの覚悟をしなさいとだけ言っておきましょう。つまり、コンビニの食品はなかなかにうまいけど、それしか知らない人間がコンビニ食品を作っていたんでは、お先真っ暗でしょ。

要するに僕は、閉そく状況の日本映画にがっかりしはじめて40年になるわけです。そんな中に一条の光明と思えるアニメがこの体たらくでは、この先“夢もチボーもない”。僕は“飯を腹いっぱい食える”だけで日本映画を応援するつもりはありません。僕の望みは“もうちいと大きい”。なのに飯さえ食わしてもらえないようなアニメでは、“怒るで、ワシは!”となるしかないわけです。